儒学のすすめ
論語 現代語訳大全

05-01 『世間の評価より人格を見る』

現代語訳

公冶長こうやちょうは、かつて罪人として拘束されたことがありました。)

お師匠様が公冶長こうやちょうについて評されました。「妻を持たせるにふさわしい人物です。たとえ獄中につながれたことがあったとしても、彼の罪ではありませんでした。」

このような理由で、お師匠様は、自分の娘を公冶長こうやちょうの妻としました。
登場人物
  • お師匠様 … 孔子こうし本人。名はきゅう、字は仲尼ちゅうじ
  • 公冶長こうやちょう孔子こうしの弟子。字は子長しちょう

現代への応用(☑表示)

現代社会においては、人の評価は「経歴」や「過去の出来事」に大きく左右されがちです。例えば、過去の失敗歴、職歴の空白、あるいは一度の不祥事などによって、その人の全人格が判断されてしまうことも多いのではないでしょうか。

しかし、この章で孔子が示しているのは、「過去の出来事」ではなく、「その人の本質」を見る姿勢です。

公冶長こうやちょうは一時的に罪人として扱われましたが、それが無実であること、そして彼自身の人格が誠実であることを見抜いた孔子は、世間の評価に流されることなく、自らの娘を嫁がせました。これは、単なる評価ではなく、「人生を共にするに値する人物かどうか」という極めて重い判断です。

この考え方は、現代においても重要ではないでしょうか。

たとえば採用活動において、履歴書の表面的な情報だけで人を判断するのではなく、その人の人柄や誠実さを見ること。また、人間関係においても、噂や過去の評判ではなく、実際に接して感じた人物像を大切にすることが求められると考えられます。

さらに言えば、自分自身に対しても同様です。過去の失敗や評価に縛られるのではなく、「今の自分の在り方」で信頼を築いていくことができる、というヒントでもあります。

この章は、「人を正しく見るとは何か」という問いに対し、世間の評価に流されることなく、本質を見抜く勇気を持てるかどうかを私たちに問いかけていると考えられます。

原文・書き下し文(☑表示)

子謂公冶長。公冶長こうやちょうう。
可妻也。あわすきなり。
雖在縲絏之中、縲絏るいせつうちりといえども、
非其罪也。つみあらざるなりと。
 
以其子妻之。もっこれあわす。
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